Blog

2016/01/21 18:06

当サイトのホームページで掲載している4枚のスライド写真のうち1枚は、

かつて「最後の鷹匠」として当町で鷹狩で生計を立てられていた沓沢 朝治さん(故人)と
相棒の「吹雪号(熊鷹)」を収めた写真です。

その沓澤朝治さんに弟子入りし、

真室川町で鷹匠としてのキャリアの第一歩を踏まれた松原英俊さんを訪ねてきました。


訪ねたのは天童市の田麦野。
昨年12月に、それまで30年間居住された旧朝日村田麦俣(鶴岡市)から引っ越されたばかりです。
鷹狩の訓練ができる裏山があり、パートナーの5羽の鷲・鷹を飼育できる納屋がある物件を探して、田麦野に辿りついたそうです。
田麦俣から田麦野へ。地名が似通っているのは単なる偶然なのでしょうか?

(松原さん。田麦野の自宅前にて。)

松原さんは9年間、真室川で鷹狩の修業を積まれました。
その後移り住んだ朝日村で鷹狩をされながら、
子どもへの環境教育や自然体験ツアーなどでその技を披露されています。

貨幣経済が進み、鷹狩だけでは生業としていけない時代になって久しいですが、
松原さんはいにしえからの貴重な技の伝承者として今も活躍されています。

ホワイトアスロンには昔の雪の暮らし方に着目して創作した競技があります。
昔の、雪と共に暮らしていた時代背景をしっかり捉えたうえで新しい時代を拓いていきたい。
そんな想いをもってこのイベントを企画しています。
だから、真室川に縁のある松原さんに是非その技を披露して欲しいと思うのは自然なことでした。
なにより、そう思うよりも前、本サイトを立ち上げる際に沓澤朝治さんの写真を書庫で見つけ
一目惚れしたときに既にこの流れが出来上がっていたのかもしれません。

2月28日9時半からの開会式に次ぐオープニングイベントで
松原さんによる鷹狩のデモンストレーションを行います。
昔、秋田を含むこの地域一帯で営まれていた技の一端に触れられるチャンスです。

(随筆)
田麦俣と田麦野の地名の疑問が気になってネットで調べてみると、面白いことが分かりました。
古来、峠には神が住み供物を手向け(たむけ)て旅の安全を祈ったそうなのですが、
この「手向け(たむけ)」が「峠(とうげ)」に転訛した一方で、
転訛しなかった「手向け」が「田麦(たむぎ)」になったそうです。

田麦俣から田麦野へ。
鷹匠が棲む里として、田麦の字があるのはとても適っていたのだなと思いました。
(梶村)